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創造と感性の教育

1創造の習慣・・・・発想と集中と忍耐

創造には発想と集中と忍耐が求められます
創造的な仕事は忍耐を楽しむものです
意図する事は尊く人間らしい事です

2美意識、倫理意識・・・芸術は調和を目指しています

芸術の教育は人間形成と切り離す事はできません。表現の質は人間性から表れて来るものです。
畏敬の念や倫理意識は、自然や人間,人間の表現した芸術等、美しいものに感じて心の内に自ずと生まれて来るものです。
知識として覚える教育とは別に感じる事によって育まれるものです。

3感覚を開く・・・主体的に考え、自信を持つ

生きている”とは肉体が在る事であり、感官を持って感覚する事ができることであるということもできます。
感じることは他から与えられるものではなく、主体によるものです。
感覚は、知覚、認識につながっています。自ら考える習慣と自信は、創造的に生きる上で大切なことです。
“生きている”ことが”創造性の中に喜びや楽しさを感じる”というものであれば素晴らしいと思います。

4磨き合う

1クラスは10人以下の少人数で、年齢差も制作内容も多様です。個人の要求に根ざした制作が行われます。それがお互いに刺激となり、思いやりを持って磨き合う雰囲気が大切と考えております。

5志を想い描く・・・将来何において花を開き、他のために働くか

教育はその果実が10年後、20年後に実ることを想い問うものでなければ本当のものでないと考えられます。
10年後を考えるからこそ,”今”が大切です。
将来何において花を開き、どのように自分を他に生かすのかを問い、志を育むことも教育の役割の一つと考えます。

空の窓の芸術教育

現とは、
技術を磨きながら、精神の質や深さを追究していくことでもあります。
アトリエで、絵を描いたり、立体造形をすることは、
同時に精神を表現することにもつながっています。

精神の深い部分、
また真理に近いものであればある程、
数値に換算することは困難になり、別の認識が必要になります。

花びらの枚数や形状を知っても、
花の美しさを”知る”ことには成らないごとく、
教育や芸術において重要なことは、
眼に見えるもの、数値で計られたものを越えて
その奥にあるものを認識することであると思います。

物事の質や美しさ、また美しさを通して善性や真理に触れていくことが
大切なことと思います。

感じることは
美を知る窓であり、
考えること、創造することの始まりです。

禅では"空”とは無限の創造を意味しています。

絶対的で、かけがいのない存在としての自身に集中して、
自身の中心をつかむこと、
そしていつか自分を越えた本質をつかんでいるというのが、創造です。

創造は、主体性をもった自己によってなされ、
知性を要するものです。

個人の表現の様相は無限とも言えます。
しかし美や調和そのものは、
個人の主観を超えたものであり、
自然の、宇宙の法とも言うべきものであると思われます。
真実は美しさの中に姿を見せていると思われます。
また美は人の心の善性に働きかけ、倫理意識を喚起します。
美の意識は人間が失ってはならない大切なものです。
美意識を失ったところに、精神の荒廃が現われて来ることは、社会の現状を見るとわかることです。
芸術における美しさや調和、崇高さを知り、触れることは、人間の感性を豊かなものにし、精神の高さを知ることになります。
美や崇高を、対象の中に探し求めることは、それらを自らの精神の中に、映し出し、育てているのです。
芸術教育の意味は、このようなことにあります。
美しさや、調和の価値をおろそかにし、実利的なことばかりに傾くことは、人間の精神を貧しいものにしてしまうことでしょう。

空の窓の教育の根底に求めるものは、
思索や模索でもあり、技術の訓練ではなく、
美学でありたいと考えて参りました。

自然から学ぶこと、
畏敬の念をもつこと、
芸術(文化にわたって)の伝統に学ぶこと、
そして、自らが感じ、思考し、
イメージを明確にして何かを作り出してゆくこと、
社会の中で他のために自身を生かすことができるように、理想や志を育むことを、
アトリエでは、指導に当る者も、共に理念としたいと思います。

個性また、その人だけが強くもっている要求を見い出し、
一人一人に手助けができるよう心がけております。
アトリエの制作活動を通して、
個としての存在の重さや、
生きる意味について、
何かを感じ取り、志を明確に育んでいかれることを願っております。

また、大人の方々は、ゆったりと自身に耳を傾けて、
ますます心豊かに充実され、
新たな道を求めて喜びの時をもたれることを、心より願っております。

美しさや、調和を大切に自ら感じ、
思考し問題意識をもつこと、
明確にイメージする力や、
努力を楽しみにかえて創造する力を発揮されることを期待しております。

この26年の間に、
アトリエで時間を共にした方々が、
絵画、版画作家、彫刻家、建築家、デザイナー、など
アーティストとして活躍されていることは、嬉しいことです。
又、美術方面に限らず、科学、工学、医学、語学、etc....
それぞれの分野で活躍されることも大変嬉しく思われます。
生命の尊重、自然への畏敬の心をもって創造的に活躍されることでしょう。

様々な技術、また多種の材料と道具を使った表現は、
実際に手を使うことによって感覚に働きかけ、
思考をうながし、創造を引き出します。
手を通して素材から感じることや、道具に合わせる呼吸を知ることも大切です。

思考や創造は、現実の感覚から始まっており、
与えられた知識から直接生み出されるものではありません。
感覚をもつ主体が思考し、
イメージを明らかにし、手を動かして成す時に創造が生まれます。
この際、知識は大いに役立ち、生かされるものになります。

感じることは美しいものを知る為の窓であり、
感じることは考えることや創造の始まりです。
豊かな表現教育、感覚教育は、思考性、創造性をもった主体を育むとも言えます。

大樹が根を張るということを、
人間の精神の発達に対応して考えるとすれば、
どのようなことが、考えられるでしょう。

子供、特に15才までにおける創造教育は、特別の意味をもっています。
魂の質には大人も子供もなく、
感性は特に細やかに優れています。
大人にとっての時間と子供にとっての時間は異なります。

15才までの「時間」の中に、
精神また、人格形成にかかわるものは大きく重要になります。
ゆっくり成長し、感じ、疑問をもち、考える時をもつこと、
そして喜びと美しい時間をもつこと、
リラックスして打ち込み、
時を忘れることが重要であると思われます。
自らの要求によって学び、獲得することが喜びとなります。
考える前に、知識として与えられる習慣をもった後に、
本質や真理を追求する人間になることは難しいことでしょう。
また、与えられた知識をとり入れるだけでは、主体性と自由のない、
奴隷の精神を形成することになるでしょう。
どんな仕事を展開していくとしても、
感じ、考える主体が、創造的な仕事をすることになります。
創造性に価値を置き、
きちんと評価できる社会が育っていかなければならないことは、
言うまでもないことと思われます。

アトリエには、特別なルールはありませんが、
ルールを作らないかわりにマナーを大切にしたいと思います。
他を思いやり、
自身もまた心を大切に、美しくありたいと思うところに、マナーが生まれます。
マナーは、ルール以前にあるもの、
人間社会の中で、特に家庭、集団で学び受け継がれていく文化でもあります。
それに対してルールには、罰が伴い、ルールが守られるために管理が生じます。
また与えられたルールがあれば、自ら感じたり考える機会は少なくなるでしょう。
思いやりや美の意識を働かせる時機を奪ってしまいます。
マナーの基準は、自身が美しいか醜いかということにあります。
アトリエは、ルールがなくてもマナーを大切にする人達の場所でありたいと思います。
アトリエでの授業は、表現技術や手順を楽しいものにし、
より易しく伝えられるよう心がけております。
複雑に見えることも、本質をとらえれば美しく必然的で、
シンプルであることが多いものです。
シンプルで力強く始めて、より繊細にわたるようにしたいものです。
アトリエでは、与えられたものを、その通りに作るのではなく、
必ず個人の心と頭脳が生きている作品を制作していただきたいと思っております。